10000万日も生きたみたいです

ドクハク

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こんにちは、借金を約500万円抱えているアラサーの喪女です。

今日は、私がこの世に生を受けてから10000日に当たる日のようです。10000日も生きれたことに感謝するべきなのか、それとも10000日も生きてしまったことを嘆くべきなのか、今の私には分かりません。

かつて思い描いていた未来とはかけ離れていて、かつ足掻いても足掻いてもより良い未来が見えない今、10000日生きたからと言って特別心境の変化があるわけでもありませんしね。

ただ、惰性で生きているようなものです。

それが嫌で足掻きたいと思っているのに、それすらもよくブレてしまって、本当に自分が嫌になってしまいます。

お金が全てとは言いませんが、やはりお金がないと視野も選択肢も狭くなり、生きることが苦しくなりがちですね。

本当は、この歳には結婚していたかった。

本当は、子どもだって欲しかった。

けれど、今はもうどちらに対しても希望が持てません。

これまで一度も恋愛経験のない女を、誰が愛してくれるのだろう。もし、お付き合いできて結婚まで出来たとしても、子どもを産むチャンスは、様々なリスクを考えた場合、それほど残されてもいない。なにより、子どもが産まれたら、私が稼いだお金で、私の時間を消費して、私が享受出来なかったものを享受するのだと、そういう思考に陥ってしまった以上、私はもう親になる資格もなくなってしまいました。

こんなにも醜く、浅ましく、歪んだ感情を、子どもに注ぐことは出来るはずもない。もうすでに毒親になることが、産む前から分かってしまった……ならば、絶対に、絶対に、子どもなんて産むものか、と。

私にはそう固く決意することしかできません。

どうして、こうなってしまったんだろう?

どうして、弟や妹は私の憧れた一人暮らしをしているのに、自由に好きなタイミングで旅行に行ったりしているのに、私だけ未だに家に居ざるを得ないのに、どうして私だけが、長女という理由でこんな目に?

なんて、考えたところで行き着く答えは一つです。

結局のところ、渋々であったとしても『家族のためだから』と借金に借金を重ねた、過去の私自身の選択の結果なのです。私が、馬鹿だっただけなのです。

死ねない以上、生きるしかないのですが……いつか、「10000日も生きてしまった」と思ってしまった感情すらもひっくるめて「生きていて良かった」と、そう思える日は来るのでしょうか。

それが、20000日目よりも早ければ良いと、今はそう願わずにはいられません。

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