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こんにちは、借金を約500万円抱えているアラサーの喪女です。
希死念慮とのお付き合いはもう10年程になりますが、10年もお付き合いをすると「希死念慮ってコスパが悪いなぁ」と思い始めてしまいます。というのも、一度希死念慮に支配されると、「死にたい」という感情でいっぱいになってしまい、本来やる若しくはやりたいと思っていた予定などは頭の片隅にこそ残りはしますが、それを行うだけの精神も体力も奪われ、その結果『やる(やりたい)ことを今日もやれなかった』という自己嫌悪という負のループに陥り、そこから更に沈んでいく……その繰り返しだからです。とはいえ、それに気付いたところでなにかが変わるわけでもないのですが。
新年早々希死念慮に襲われ、改めて、希死念慮のコスパの悪さを実感していたところです。
せっかくの連休であるというのに、希死念慮に支配されてしまい、時間を無駄にしてしまいました。今はそのことで精神が落ち込んでしまっています。自分と交わした約束すらも守れない。なんて、私はダメ人間なんだろう、と。
死にたい。
前に進みたい。
楽になりたい。
頑張りたい。
矛盾した気持ちが、思考を精神をぐちゃぐちゃにしていきます。
悩んでいる時間とも違う、何の生産性もない時間。
この時間が無くなるだけで、どれだけ前に進めるのだろう。
そう考えては、しかしすぐに「死にたい」一色に思考が染まってしまいます。
せめて、実行に移すだけの行動力があればまた違ったのかもしれません。しかし、一度踏みとどまってしまった以上、もう能動的にそこに向かうことは、私にはできません。そうであるならば、希死念慮など邪魔なだけです。頭では、そう分かっているのに、どうしてさよならできないのでしょうね?
本当に、希死念慮というものは厄介なものです。
コスパの悪さを自覚していても、手放すことは容易くはないのですから。
「死にたい」と、そう思ったことのなかった日に、どうすれば戻れるのだろうと何度も何度も思います。けれど、この思考もまた希死念慮に支配されているときのものと同様、意味のないものなのでしょうね。
だから、せめて。
強がって見せたいところです。
『けせらせら~明日はあたしの風が吹く~』と、そう無理やり口角を上げて。
大丈夫、大丈夫。なんとなる。明日はきっといい日になると、そう、祈りを込めて。
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