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こんにちは、借金約500万円持ちのアラサー喪女です。
今回は、私が借金持ちになった理由についてお話したいと思います。
とは言っても、そう大した理由があるわけではなく、単純に『家族のため』なのですが。
それに加えて、20歳の時点で既に借金をいくらか抱えていたことによるストレスで借金に借金を重ねて、散財したこと。その結果、リボ払いに手を出したことも原因です。
リボ払い。
恐ろしい仕組みですよね。
上手く使うことが出来れば、時々は助けになってくれるシステムですが、使わずに済むのであれば使わないことをオススメします。
私の場合は、借金の総額からお察しいただけるように既に自転車操業でないと回らないことと、金利云々よりも毎月少額でも期限日に返済することに重きを置いているため、今もリボ払いでなんとか返済を続けていますが……。読者の皆様は使わなくて済むのであれば、なるべく使わないようにしてくださいね。私のように、何年も何年も借金を抱えて過ごすことになってしまいますので。
さて、ここからは散財のきっかけになったストレス――その大きな要因である、姉弟格差についてお話したいと思います。あまり楽しい話題ではありませんが、興味のある方はお付き合いくださいませ。
私の家族構成は、父、母、私、弟、妹となります。更に、私が初めて借金をした頃には愛犬が二匹いました。と言っても、そのうちの一匹は私が二十歳くらいの頃に虹の橋を渡りましたので、今回のお話に出てくる愛犬は今も元気なクロ(仮名)のことになります。
ここで、貧乏なのに、犬を飼うなんて……と思われる方も多いでしょう。これだけ借金を抱えているので説得力はありませんが、愛犬を飼い始めた頃、そしてもう一匹増えた頃はまだそこまで貧乏ではなかったんですよ(笑)
多分、きっかけは私が高校を中退してしまったことなのだと思います。
それなりに高い入学金を払ってもらい高校生になりました。けれど、学校生活に馴染めずに――というには違和感は僅かなものではあったのですが、それが徐々に大きくなっていったのかもしれません。勉強についていけず、留年という選択肢が見え始めても、本気で勉強する気にはなれず……今だからこそ分かるのですが、私は学校というコミュニティが苦手だったようです。そのため、年度末留年か退学かの決断を迫られたときに、私はあまり迷うことなく退学を選びました。
もちろん、親とは揉めました。けれど、意地でも譲りませんでした。どうせ続かないことは分かりきっていましたので。ただ、やはり先にも述べたようにそこそこ高めの入学金を払ってもらったので、それを無駄にしてしまったことが私にとって『しこり』になりました。
とはいえ、中卒は流石に避けたいなと感じた私は、定時制の高校に編入学をすることに決めました。決断が遅かったため、一年遅れ――つまり、年下の子達に交じって高校卒業を目指すことになりました。ただ、夜間の定時制高校だったため、年下の子が多かったものの、中には年上の方もちらほらといらっしゃって、それが私にとって励みになったのを覚えています。
さて、そんな一年遅れで編入学をした私ですが、当然空白の一年間を引きこもって過ごすわけにはいきません。編入学までの一年間はアルバイトをして過ごしていました。
初めてのアルバイト、初めてのお給料。
当時一人暮らしに憧れのあった私は月に3万円ずつではありますが、貯金を始めました。バイト代の約三分の一程度の額ではありますが、こつこつと貯金をしていった結果、編入学をした頃には貯金が30万円近くになっていました。
一人暮らしの夢が実現に近付いて来た頃、大好きなゲームの周年イベントの無料抽選チケットと、当時好きだった舞台俳優さんが出演する舞台のチケットに、同時に当選します。そして、妹の好きなアーティストのライブチケットも、当選してしまいます。
貯金を崩せば行ける……!
せっかくの機会。
貯金はまた頑張れば良い。
まさか全てのイベントが同じ月に重なるなんてことあるんだな~と、ワクワクしていた私は、忍び寄る地獄の始まりに気付けずにいました。
イベントを控えた数ヶ月前。
母親から「弟の車校代30万円を貸してほしい」と言われます。
始めは拒否しました。何故なら、私はクレジットカードを作り、ローンを組んで車の免許を取っていたからです。既に就職先も決まり残すは高校卒業だけである弟がローンを組めないはずがありません。しかし、母は「弟は通らなかった」と言います。私はイベントの数々が控えていることを話ますが、母が「絶対に返すから」と言うので、仕方なく貸しました。これが、地獄の始まりになるとは知りもしないで。察しの良い方は気付かれたでしょうが、この時のお金は帰ってきませんでした。
けれど、イベントの開催日は近付いてきていました。
「お金を返して欲しい」という私に母はなんと言ったと思いますか?
「ごめん、苦しいから返せない」
ここまではまだ分かりますよね。
しかし、「叔父に車校代がないから貸してほしい、と言ってみて」と続くんです。私が必要としているわけではないのに、ですよ。けれど、まだ精神的に幼かった私は、どうしてもイベントを諦めることが出来ずに、渋々ではあったものの最低な嘘を吐いて叔父にお金を借りてしまいました。
だから、でしょうか。
借りた30万円のうち、20万円は母のもとに行きました。残った10万円で、全てのイベントに行けるはずもありません。私は自分のイベントを全て諦めて、妹のライブの付き添いに行きました。
このことは今でも忘れられません。
自分の興味のないアーティストのライブは全く楽しくなくて。けれど、妹の手前そんな素振りもできなくて。どうして、どうして、どうして。私は自分の好きなイベントに参加することが出来ないのだろうか、と、今でも時々思い出しては悔して苦しくて泣いてしまうほどには、心の傷になっています。
それでも、当時の私は姉だからと妹のことを優先させました。私が高校を中退したことがきっかけになって車の故障や父の給料が下がるなど貧乏への道を辿ってしまったのかもしれないと、そう思っていた部分もあったので、違和感を覚えつつも、母にお金を貸し、嘘を吐いて叔父にお金を借りたんです。もっとも、叔父にお金を借りたのは、自分のためもあったので、最低なのは私も同じですが。
ここから、少しずつ私の心はおかしくなっていきました。
自分が頑張って働いたお金で買ったゲームが届くたびに「またゲーム?」と言われ、いつの間にかゲームが出来なくなりました。少し触っても、すぐにソファに横になってぼんやりと時間を過ぎるのを待つだけの日が増えたんです。お風呂も、このくらいの時期から入ることがツライと思う日が増えました。けれど、「入りなさい」「汚い」と言われてしまうので、無理して入っていました。
更に、アルバイト中に突然泣き出す始末。
何故か涙が溢れて止まらなくなってしまい、一ヶ月ほどお休みを貰うことになりました。
ネットで色々検索をして鬱病の可能性に辿り着くも、初めての心療内科は肝心の主治医との相性が悪くて……睡眠薬を貰いに数度程行っただけで終わりました。別の場所に行ってみようかと考えていた時期に、どの流れでだったかは忘れましたが、母からの「鬱病と思うから鬱になるのよ」という発言。
更に、私はおかしくなっていきました。
この期間にも母からの「お金を貸して」は度々ありました。まだ高校中退の罪悪感から抜け出せずにいた私は「返す」という言葉を心のどこかで信じ、時々怒りを露にしながらも、お金を貸していました。借りた分のお金の返済をしつつ、月に数万円は母に貸すという生活でしたので、私の手元には3万円ほどしか残りません。
次第に、私は『死にたい』と思うようになります。特に、この時期はどの車に轢かれて死ぬかをずっと考えていました。少し不思議なお話になるのですが、実際に道路に飛び出そうとしたときに誰かに引き留められるような感じを覚えてからは自ら死に向かう行動は出来なくなってしまいました。それでも、受動的な希死念慮は中々消えずに今も心の裡にいますが……これはまた別のところで。
さて、そんな私は変な方向へと進んで行きます。
家族のためにカードや身銭を切りつつも、自分のために使えるお金が減っていくことの恐怖から衝動的な散財――それは洋服であったり課金であったりと様々でしたが――を始めます。当然、クレジットカードも借金の一部ですので、賢く使う分には頼もしい味方ですが、当時の私のように馬鹿な使い方をすれば自身を苦しめるだけです。
それ以外にも銀行カードローンなどの借金も増えました。母に「私はもう借りられないから代わりに借りて」と言われて借りたものです。
その頃になると、妹も高校を卒業して就職を控えていました。自宅から通えない距離ではないものの、やや遠いため一人暮らしをすることを決めていました。車校代と一人暮らしの費用が一気に必要になり、弟の時同様に何故か車校代は私の借金から賄われることになりました。一人暮らしの費用は妹自身のアルバイト代でとの話でしたし、母もそう言っていましたが、流石の私も嘘であることは気付いていました。大してやってもいないアルバイト代で一人暮らしの費用が賄えるはずありません。母は私に嘘を吐いて、妹を密かに援助していたのでしょう。
それでも、私は返済と借金と散財を繰り返していました。
弟にも妹にも一度車校代の話をしたことはありますが、どちらにも逆ギレされて終わったので、彼等に期待することはもうありません。ただただ目障りですので、私の人生から退場してくれることを願うばかりでした。今はもうその気持ちすら消えてしまいましたが。
とはいえ、この時期にはアルバイトを辞め正社員となっていましたので、借り換えローンが借りれるようになりました。一度借金が一つにまとまり、「さぁ、頑張ろう!」と思ったのは束の間。察しの良い方はお分かりでしょうが、ただただ借金が増えただけでした。
後はもう説明するだけ冗長でしょう。
なにせ、この10年間同じことの繰り返しでしたので。
一つだけ違うのは、以前書いた【借金の総額と向き合おう!【500万円返済の道!】】の中にある叔父への借金は上記のものではなく――そちらは返済を何年も前に終えました――、パワハラに耐えかねて仕事を辞めた私が自分の意思で借りたものくらいでしょうか。余談ですが、消費者金融に関しては一ヶ月前に増えました。私も学習しないなぁと思いつつ、これがある意味開き直るきっかけになったとも言えます。借金が500万にもなると、いっそ開き直れるのかもしれません。自棄になっている可能性も否定はできませんが……。
と、ここまで語ると、父が出てこないことに違和感を覚える方もいるでしょう。
父は、つい最近まで母が私に借金をしていることを知りませんでした。今も、私がどれだけの額を貸しているのを知らないでしょう。母は、それに関する話を父の前でしようとすると、話を辞めるもしくは声を小さくするような人なので。
今となっては、母は弟や妹にもお金を借りているようです。しかし、やはりそれでも真っ先に私に助けを求めてきます。理由は、私だけがまだ実家暮らしだからなのか、それとも別の何かがあるのか。
多分、後者でしょう。
結局車校代をローンで支払いしたのは私だけですから。
私が節約料理を作っても、弟や妹が文句を言えば「何か作ろうか?」と言っていたくらいですから。
もっとも、母は自覚がありません。彼女はうっすらと私が嫌いで、けれど私に依存している。それを気付くことは今までもこれからもないのでしょうね。
私が恨みや憎しみを抱えつつも、情を捨てられずに、同じことを何度も何度も繰り返してきたように。
色々と省略したり、また私自身の記憶が捻じ曲がっている可能性もあったりはしますが、瀬良ミツキが借金を抱えるに至った経緯はこんなものです。様々な情に振り回され、返済と借金と散財を繰り返してきた、ただただ私の頭が悪かっただけなのです。
もしも、私と同じような状況で苦しんでいる方がいるのであれば、自分を許してあげてくださいね。一部の家庭を除けば、家族なのですから多少の情はあって当然です。過去の楽しかった記憶が、優しかった記憶が邪魔をして、自身の中にある複数の感情に雁字搦めにされてしまっても仕方のないことです。私は、10年程かけてようやく気付けました。ようやく、『大切にしたい』『消えて欲しい』『憎い』と矛盾する感情を受け入れることが出来ました。
今でも日ごとに母に対する感情は変化しています。
それでも、私は私のことを許してあげることにしました。そうすることで、少しだけではありますが、心が楽になりました。ですから、どうか複雑な状況に、複雑な内面に苦しんでいる方は自身を許してあげてくださいね。
逃げればいいというのは、他人だから言えることです。分かっていても簡単に出来ないから、苦しいんです。そんな中でも、心の裡だけは自分のものだから。優しい感情も醜い感情もひっくるめて、自分ですので。まぁ、偉そうに言える立場でもないのですが(笑)
つまらない話を長々としてしまいましたが、今回はここまでにしようと思います。
もしも、最後まで目を通してくださった方がいるのであれば、深く感謝申し上げます😊
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